〜ロシア総集編〜
[↑帰国を控えた時のモスクワ、シェレメチェヴォ空港にて]
【ロシアに2週間半以上滞在して感じたこと】
①自分が思ってたより海外は怖くない(土地と場合によるがw)。おそロシアなどと言われたりしているし、無愛想な人が圧倒的だけど、「大抵の場合」人は優しい。笑笑。ただ警戒は怠らないように。集団で海外旅行に行く場合は1人じゃないという安心感から警戒感が薄れやすくなると聞くので、ご用心を!
②ロシア語が分からないと行動範囲が狭まる(当たり前と言えば当たり前)。ということは当然、人とのコミュニケーションが希薄になりやすい。
③たとえロシアでも英語は、全く分からないよりは分かった方が断然いい!ヤクーツク、モスクワ、ウラジオストクのホステルのお姉さん&お兄さん達とは普通に英語で会話した。
④市場では、値切る術はあった方がいい(ヴェルニサージュ市場で、妹が値切っていたのを見て)。向こうは大抵、金を持ってる観光客だからと言って隙あらばこちらをカモにしようとしてくるので、ご用心を。
⑤たかだか2週間半とはいえ、やっぱり外の世界に行くことで視野が広がると皆が言ってる気持ちが、「少し」だけだが分かるようになる。でもほんの少しだと思う。視野や自分の価値観、自分の世界、自分の可能性を本当に広げたいなら、今までの環境とは違うところに5年以上住む方が良い気がする。
⑥一人旅をする前に、心の準備が必要な方は、海外ふたり旅を120%オススメする!
以上。ロシア旅行記、完了🇷🇺✈️
来週月曜から8/9までマスタークラスでオランダに行ってきます🇳🇱✨観光する時間があるか分からないけど、少し書けたら書きたいと思っている次第。
ロシア旅行記④ヤクーツク
[↑ヤクーツク市街。最初の日に訪れたTraveler’s Cafeの前]
ヤクーツクでは実に濃い体験ができた。いや、あまりにも濃すぎてどうしようかと思ったくらい笑笑。そもそもヤクーツクでは寒さを体験する事とマンモスを見る以外、大して観光の計画を立てていなかった。結果として、ホステルや博物館で出会った色々な人に色々な所に連れ回される事になったw
だからあまりにも色々な事が降りかかってきて物凄く大変で、でも最高に楽しい4日間だった。
[↑ヤクーツク空港]
【1日目】
モスクワを堪能した後、ヤクーツクまで再び東へひとっ飛びした。到着した時間が早朝6時45分にも関わらず、泊まる予定のホステルのヤクート系(見た目は完全にアジア系。というかモンゴルっぽい)のおばちゃんが車で出迎えに来てくれていた。白人だらけのロシアでアジア系を目にした時の安心感たら。
ウラジオストクもモスクワも、出発前の東京と大差ない寒さだった。モスクワは多少ひんやりしていたし、雪もよく降ったが、気温としてはごく普通の冬だった。その感覚がまだ捨てられていなかった事を思い知る。
空港から出た瞬間「寒っ!」となって慌ててコートのフードを被る。さすがヤクーツク。私たちの滞在中は最高で(最低?)−29℃を行ったり来たりしていた。お昼はもう少し気温が上がったがそれでも−20℃前後だった。ホステルのおばちゃん曰く例年より暖かいのだそう。でもしっかり防備していれば意外とこの気温でも生きていける気がした。
ただ歩くのが難しかった。やはり永久凍土。普通の場所のつもりで歩くとよく滑った。滑り止めが付いたブーツが必須だったと少し後悔。
[↑朝のヤクーツク。太陽が昇るのが遅い印象だった]
朝食が取りたかった私たちのためにおばさんがホステル近くのカフェに止まってくれて、そこで朝食をとる。
[↑Traveler’s Cafeにて。私が窓を眺めている]
ここのカフェのヤクート系店員さんがアメリカ人顔負けのペラペラな英語で色々説明してくれて感激しながら朝食を取る。
[↑写真では分かりづらいかもしれないけど、ダイヤモンドダストが見られた!]
お昼までホステルで休む。ホステルと言っても人様のアパートに泊めてもらっているような感覚だった。
ホステルの人(先ほど登場したおばちゃんのお兄さん)にどこ行きたいか聞かれ、私たちが適当に「マンモスが見たい」と言ったら本当にマンモス博物館に連れて行ってくれた…!
[↑↓マンモス]
私たちはここで思わぬ出会いを果たした。お節介にもホステルのお兄さんが、学芸員らしき白髪混じりの男性(同じくヤクート系)に「日本から来た子たちに英語で説明してやってくれないか」とか言ったらしい。するとやってきて、彼のご好意で館内を英語ガイド付きで見学させてもらえた。セルゲイ・フェドロフ氏。名刺をもらったがロシアの北東連邦大学で教授をしている人で、かつ、大学内のマンモス展示館の館長でもあるらしい…!すごい。(あとでググったが本当に本当だった!笑)
ちなみにNHKのドキュメンタリー番組「体感!グレートネイチャー」の制作にも関わった事があるらしい。なんとまあ。
そのあと「この後はどこを回るのか」「明日はどこを観光するのか」と色々聞いてきた。はっきり言って綿密な計画を立てていた訳ではなかったので面食らってしまった私たちに彼は「ヤクーツクは寒いし、歩いてどこかに行くのは難しいのだからちゃんと計画を立てないといけない」と軽く説教をかましてきた。すんまへん。。。笑
そしてそのあと、半ば強制的にホステルのお兄さん&そのご友人に連れて行かれた氷の洞窟へ。寒さを満喫するプログラムとしては粋な計らい(違う)
[↑ヤクーツクの一風景、確かホステルの近く]
[↑氷の洞窟の内部。ヘルメット装着が義務付けられる]
[↑何故かカーリングのストーンがあったので少し遊んだw]
この後、なんとヤクーツク料理を食べられる店があるというので連れて行ってもらった。Chochur-Muranというお店にて。
[↑ヤクート人の伝統的な家屋をモチーフにした内装]
[↑凍らせた魚の切り身!連れてってくれたホステルのお兄ちゃんには「サシミ!」と言われたw]
[↑不思議な形をした入れ物。ヤクーツク伝統のお酒]
そして夜は、例の教授セルゲイさんが息子を連れてホステルにやってきた。息子さんの名前はティムール君。これまた物凄く流暢な英語を話し始めて私たちは内心すっかり仰天してしまった。話してても良く分かったが、なかなかの秀才らしく、教授自慢の息子という感じがした。教授は英語話すのに疲れたのかティムール君に通訳させて自分はロシア語をまくし立て、夜が更けていく。
私がGoogleマップで偶然発見したヤロスラフスキー民芸品博物館に行きたいと、試しに言ってみると教授氏は「ロシア語ばかりの展示では分からないだろう、知り合いにガイドさせるよ。息子をその通訳に付けるから明日3人で行きなさい」と言われたwwええぇぇえ!?
なんとも言えないお節介な待遇。こんなに手厚くしてもらえるとは思っても見なかった。大丈夫かなぁという不信感が無いわけではなかった。でも今思うと、彼らは本当に心から歓迎してくれていたんだなぁと。人との出会いって大切。ほんと、大事にするべきだと改めて感じた。
【2日目】
この日はティムール君と待ち合わせしてヤロスラフスキー民芸品博物館に行ってきた。教授が昔、ここで10年ほど館長をしていたそうだ。
[↑ヤロスラフスキー民芸品博物館]
[↑ヤクート人男性の民族衣装と、女性の服飾品]
[↑繊細なアクセサリーの中に勇ましさを感じる]
お約束通り、ガイドさんが現れてティムール君が通訳をしてくれた。ヤクート人の歴史を耳で聴き、目で見る貴重な体験。非常に面白かった。特に白系ロシア人による入植の歴史は心に迫るものがあった。
昼食兼夕食のようなものを食事してから、ティムール君が氷の彫刻パークに連れて行ってくれた。その途中でWW2の戦死者記念碑があった。
氷の彫刻パーク、地獄のように寒かった(なんか喩えが違うw)。というか結構長い間、外を歩いていたせいもあったかもしれない。私たちは手足が壊死しちゃうんじゃないかってくらいカチカチになって痛み出して、もう限界ってなった頃にようやくセルゲイさんがタクシー飛ばして迎えに来てくれたwありがたや〜〜
[↑氷の彫刻パーク。寒すぎてあまり写真が撮れず]
ティムール君には案内と通訳で大変お世話になったので(彼を見ていて、同時通訳が如何に大変かがよくわかったw)、さすがに何かお礼をしなきゃと思い少しお小遣いとお菓子をあげたらとても喜んでくれた。よかったよかった。
【3日目】
激しく世話焼きなホステルのお兄ちゃん&教授氏親子と別れて、ホステルを予定通りチェックアウトしてから空港近くのホテルにチェックイン。すぐにホステルが寂しく感じられた。なかなかの塩対応で、しかも外国人が使えるWi-fiがないという異常事態wホステルにさえWi-fiあったのに…!
とりあえず荷物を部屋に入れて、お腹が空いていたのでヤクーツク空港近くのオルズというお店でご飯を食べる。ここのボルシチ、ロシアで食べたどのボルシチより美味しかった!!
[↑オルズにて]
[↑↓ヤクーツク空港近くにて。何とも言えない寂寥感を覚える]
夜の食料を調達してからホテルに戻る。日本への帰国が目前に迫っていた。ヤクーツクからの直行便or乗り継ぎ便がなかったので、次の日朝早くにまたモスクワに逆戻りして1泊する予定だった。
[↑サラミパーティwこの後ちょっと胃もたれがしたw]
そして次の朝早くにホテルをチェックアウトして、空港に行き、モスクワへ。ヤクーツクを離れるのがこんなに寂しく感じるとは思わなかった。予想をはるかに上回る充実した滞在だった。お世話になった全ての人に感謝しつつヤクーツクをあとにする。いつかまたここに来たい。
ロシア旅行記③モスクワ
【1日目】
まず私たちはタクシーでホステルに向かった。ホステルでチェックインして、シャワー浴びて洗髪した。7日ぶりのシャワー。本当にさっぱりしたしスッキリできた。そろそろお風呂が恋しくなってくるけど、熱々のお湯がちゃんと出るので、どうにかなっている。
[↑アルバート通り]
身体も洗って洗いまくって服もホステルで洗濯に出して着替えて、さっぱりしたところでアルバート通りに繰り出した。アルバート通り、なかなか面白い。カフェ・ムームーという所でお昼ご飯を食べる。お肉、久しぶりでとても美味しかったけど、歯を使う食事をあまりしてなかったせいか、噛むのに結構疲れた。
[↑↓カフェ・ムームー。妹曰く、チェーン店だそうw]
[↑ロシアでのボルシチ第1号。思ったより少し甘い]
夜はVarenichnayaというお店で夕飯を食べる。店員はカザフスタンやキルギス系が多かった。こちらもどうやらモスクワ近辺を展開するレストラン。
[↑ロシアではボルシチを飽きるまで食べようと決心!その第2号]
アルバート通りの近くのホステルに泊まったが、立地の割にそんなにうるさくなく、ホステル内もそんなに泊まり客が多くなかったせいか静かで、ゆっくり休むことができた。
[↑ホステルの受付とロビー。朝ご飯はここで食べる。スーパーもすぐ近くにあった]
【2日目】
[↑ヴェルニサージュ市場の入り口。ここに写ってる車の汚さはロシアでは当たり前のようによく見かけたw人々はあまり気にかけないらしい]
モスクワにいる間にヴェルニサージュという市場に行きたかった。妹曰く、そこらへんのお土産屋より全然面白いものが売ってるし、安いとのこと。水曜日の午前中が一番賑わってるらしい。午後には店じまいをする人が増えるから行くなら絶対午前中だ。
[↑ヴェルニサージュ。ポグロフスキー聖堂の形をしたオルゴール、私もお土産に買ってきた]
行ってみると本当にいろんなものが売ってた。ただ、観光客には450ルーブルで売ってロシア人には350ルーブルで売る人を妹が聞いてしまったらしく、観光客をある程度区別してるんだなという印象。やっぱりロシア語がわかると得なのかと改めて思った。
気を取り直してヴェルニサージュではご飯をたらふく食べた。
[↑シャシリクという肉の料理(私は牛肉を頼んだ)。野菜がピリ辛だったけどお肉が美味しすぎて死亡w]
ちょっと回り道してからあの有名なポグロフスキー聖堂へ。
中では修道士のような身なりをした男性が3人アカペラで聖歌を歌ってた。どう言葉で表せばいいか分からなかった。言葉を失う美しさとはこのことかと思わされる。
あれは一生に一回は聴くべきだと思う。東方正教会は楽器を使わず、全てアカペラだというが、初代教会の時代だってきっとそうだったに違いない。カタコンベで初期のクリスチャンたちが礼拝していた時代が目の前に広がった気がした。
そして赤の広場。カザンの聖母聖堂でろうそくを立てる。(こちらは敢えて写真は撮らず)
夜はCafe Pirosmaniでジョージア(グルジア)料理を食べる。スルグニチーズ美味しかった。
[↑左側にあるのがスルグニチーズ。まだメインが来る前なので真ん中は空っぽw]
[↑これがメイン。白身魚と野菜のたっぷり入ったスープ。肉を食べ過ぎた感が個人的にあったので節制。これもとても美味しかった!グルジア料理、なかなかいけそうな予感]
そう、モスクワでは地下鉄をたくさん利用した。日本のメトロを想像した私がバカだったとつくづく思わされた光景がこちら。
[↑ホーム]
[↑駅構内。どこの宮殿?]
【3日目】
この日は少し遅くまで寝て睡眠時間を確保。疲れる旅だけはしたくなかった私たちはなるべく無理ない範囲で行動した。とはいえ、せっかくのモスクワ滞在、色々楽しんだのも確か。
レーニン廟に行きたくて赤の広場まで再び行ってみたが改装中か何かで4月まで開かないとのことでダメで、救世主キリスト聖堂に行く。
[↑レーニン廟の入り口]
[↑救世主キリスト聖堂]
基本的にあまり教会内では写真は撮らないようにしていた。どうしても気に入った一風景があれば撮っていたが。例えばこちら。
[↑救世主キリスト聖堂の天井。天上への人々の祈りを感じる]
ロシアの人々は物凄く信心深い。イコンの前にろうそくを立てて十字を切ってお祈りするロシア正教会の習慣を目にする事がとても多かった。そう、ほとんどのロシア人はそれをやっていた。イコンの前を通るたびに十字を切って歩いたりする人も多かったのがとても印象的だった。
そして女性は100%かぶり物をして聖堂に入るのが習慣だ。カトリックもそうだけど、おそらく新約聖書中のコリントの信徒への手紙I 11章2〜6節あたりから来ているのだろう。
そしてボリショイ劇場近くの小さな劇場で現代風のオペラを観てみる。英語字幕がない原語オンリーだったので厳しかったがなかなか面白かった。
[↑ボリショイ劇場。いつかここで何か鑑賞してみたい!]
[↑ロビー。仕事帰りの人が多い印象だった]
[↑客席。映画館みたいな感じがしたw]
【4日目】
さて今日の夕方にヤクーツクに向けて出発するのでその準備。ヤクーツクへの移動手段は飛行機しかないので、再びモスクワのシェレメチェボ空港へ。
[↑飛行機から見たモスクワの夜景]
モスクワで止まったホステル、とても居心地が良かった。ウラジオストクでは8人部屋で、私たち含め7人が同じ部屋に宿泊していたが、モスクワでは2人部屋でのんびり過ごすことができた。
モスクワは盛りだくさんでとても面白い街だったがひとつだけ気に食わないことがあった。そう、本当にひとつだけ。
私には食物アレルギーがあって、妹が私のために「これは何が含まれているか」とか色々聞いてくれた。快く教えてくれたお店もあったし、店員がわさわさと集まってきて「うーん、入ってないと思うけど」「いや入ってる!」と真剣に話し合う場面も見てちょっと可笑しいながらも嬉しくなった時もあった。
(ちゃんと成分表示確認しろという話ではあるがwそこのお店では話し合いの結果「念のため食べない方が良い」と言われたw)
しかし、中には面倒くさそうに「知らない!分からない!」って言って、嫌な顔を隠そうともしなかった店員もいた。基本的にはぶっきらぼうなロシア風接客wに慣れてきた頃だったから、単にぶっきらぼうなら何でもなかった。ただアレルギーの事は別問題。こちとら命がかかってんのよ。あなたの判断ミスで私がアナフィラキシーにでもなったら責任とれないでしょ?だからこうやって聞いてるのに!
……とまあ思ったりして、、とりあえず食物アレルギーに対する人々の圧倒的な知識不足を感じた。
(なのでアレルギーをお持ちの方は、釈迦に説法だとは思うけど、ぜひ覚悟と心構えをしっかりお持ちになって海外へ行くべし。私は次回からは反省と防備を兼ねてエピペン持参する!!)
さあ、次は永久凍土の地へ!!今回の旅のメインはここから
ロシア旅行記②シベリア鉄道7日間の旅
友人や知り合いに「ウラジオストクからモスクワまで7日間かけて行ってきた」というと必ず目を丸くされる。確かにそういう体験だったかもしれない。昔からお世話になっている近所の老医者には「物好きだなあ、俺なんて絶対無理だ」と言われた。彼は学生時代に友人に誘われた事があったらしいが、断ったのだそう。
まあ昔の方がはるかに車内環境悪そうではある…笑
人生に一度は乗ってみたかったシベリア鉄道。教科書でしか知らなかったものが、身近になる瞬間の連続だった。
[↑シベリアのどっかw具体的な場所は残念ながら覚えていない…]
深夜に車内に乗り込んだその翌朝、目が覚めると幻想的な風景が広がっていた。ウラジオストクから走り続けて約8時間経過していた。
とりあえず朝ごはんをふたりで食べて、また一眠りしてしまう。そのあと昼過ぎに起きて、ご飯を食べる。寝てばっかりのぐうたらな旅の始まり…笑
[↑シベリアの一風景。とっても幻想的]
最初の主要駅ハバロフスクに着いた。シベリア鉄道では長い時間停車する駅が一日に数駅あって、ホームにキヨスクがあれば乗客はそこで食料や飲料水などを買い込む。だけどハバロフスクには見たところ何もなく、外の空気だけ吸って車内に戻る(車内は空気がこもるので新鮮な空気を吸うためだけでも、降りてみるのがいいと思う)。
[↑ウラン=ウデ駅(モンゴルの首都ウランバートル行きの電車に乗り換えられる)のキヨスク]
[↑こんな感じのキヨスクも]
日本のキヨスクと違って果物やヨーグルト、パン、飲料水やジュース、インスタントの食事系などいろいろ売っている。
ハバロフスクはウラジオストクと違ってなかなか面白い街並みだった。私が思わず「何だか(テレビでみるような)北朝鮮みたいな街並みだなあ」と言ったら妹が「ソ連時代の建物とか多く残っているのかもね」と言っていた。
ここから乗客がまたゾロっと乗ってきた。日本人と大差ない風貌の年配男性がロシア語を流暢に話しているのがまた不思議な光景だった。おそらくウズベキスタンの人だろう。
車内で一つ面白いこと(?)があった。車内販売カートが通り過ぎようとしていたので水が欲しかった私のために妹がミネラルウォーターを買ったんだけど、スーパーで買うより2倍ぐらい高くて、とりあえず100ルーブル札を差し出したらおつりが返ってこなかったのだ。妹がキレて、それ以来カートが通り過ぎるたびに「ぼったくりカート」と呼んでいたw
確かに見渡したところ、現地の人たちもカートからあまり物を買ってはいないみたいだ。ぼったくりカートだと知っているのかもしれない。だから水を買うなら途中下車して駅のキヨスクで買うのが無難だろう。それでもスーパーよりちょっとだけ値段はするが。それにキヨスクはちゃんとお釣りを返してくれる!
[↑「バイカル湖の水」と書いてある。この水が一番美味しかった!]
そのあと、何個目かの小さな駅でロシア人のおばさんが私たちのベッドの下に乗車してきた。小学校教師らしい。その人は深夜過ぎに降りる予定らしく、私たちと少し話してから横になって寝始めた。私たちは邪魔にならないように、空いてる近くのところに座って車窓を見たり、音楽聴いたり、お茶飲んだり、小声でおしゃべりしたりしていた。
【注意事項、覚えておいた方が良いこと①〜⑥】
①乗客は熱湯がいつでも出せるのでティーバッグさえ持ち込めばお茶は飲み放題、カップラーメンも持ち込めば食べ放題。マグカップも係のお姉さんに言えば貸してもらえる(※後述するが、基本的に英語は通じない)
[↑食事の一風景。右に写っているのは借りてきたマグ]
だけどカップラーメンだけを7日間も食べてるのは、さすがに栄養面が心配なので果物やドライフルーツ、ナッツや野菜たっぷりのレトルト味噌汁、パン、チキラーとそれに入れる乾燥わかめ、等々持ち込んだ。色々な人がいる車内だし、風邪をうつされる心配もないわけじゃない。そんな時にビタミン不足だと余計心配だ。これからシベリア鉄道乗ろうか考えている人は注意した方がいいかも。ただ電源の心配はしなくても大丈夫。上のベッドの人には一人につき2つずつUSBを挿して充電できる場所があり、下のベッドの住人にはアダプターを挿して充電できる場所が1つずつある(妹が一人旅をした数年前まではそうではなかったようだ)
[↑上の段のベッドにあった、USBを挿すところ]
[↑下の段にはこれが]
②電源の心配が要らない代わりに、電波が届かず圏外になる率が高いという難点がある。ポケットWi-Fiを持っていってもなかなか鉄道内だと使い物にならなかった。
ただ駅とその周辺は電波がいいので、日本の友人たちと連絡とったりSNS使ったりしたい時は、駅に着く頃を見計らって使うようにした。ただ稀に駅周辺以外でも電波が良かったりする。
(だから死ぬほどやる事がなくなった時のために本とか雑誌とか持っていったほうがいいかも!)
③車内には乗客向けのシャワー室がない。ウラジオストクからモスクワ行く人は約7日間洗髪もできないし身体も洗えない。顔や手を洗うので精一杯だ。潔癖な人からしたら気が狂いそうな旅だろう。私はそこまで潔癖症ではないが、それでも洗髪ができないのは本当につらかった。
そして一車両につきトイレが2個しかないのであまり長居するとイライラした乗客やトイレ掃除のお姉さんが容赦なくトイレのドアを叩いてくる…!さすがおそロシア
④車内にいるときはサンダルがあると便利だ。一日中、外用のブーツを履いているのはキツいし、リラックスできないだろう。
⑤私の主観も多少は入ってるかもしれないが、ロシア人は日本人以上に英語が喋れない人が多い印象だった。”boyfriend”という簡単な言葉も知らない人がいて驚いてしまった。乗客にはシベリア出身の若い男の子がいて、その人は何故か英語が喋れたし、ウラジオストクで泊まったホステルのスタッフには、色々な国から来た観光客が多いせいか英語が話せる人がいたが、そういう人はかなり稀だそうだ。
妹は旅行会話には困らない程度のロシア語はできるが、私自身は全くできない。だけどここに来て最低限のことは強制的に覚えるはめになった。それでも数字は1と2しかわからないし、そうなるとだいたい妹に任せるしかない。
⑥ゆっくり過ごしたい人は上ではなく下のベッドを予約した方がいい。上では食事はまず無理だし(下に乗客がいない場合は下でちゃんと食べられる)、パソコン開くにも本読むにもかなり無理ゲーな姿勢を強いられるので厳しい。あと大柄な人に上は絶対オススメしない。
シベリア鉄道の旅は最初は乗客も少なくそれなりにテンション上がるが、だんだん増えてくるとそうも言ってられない。私たちのような上のベッドの住人は、下の人がいるときは自由に机に向かって座れなかったり車窓を眺めることができなかったりするので、だんだん嫌気がさしてくる。もちろん食事の時くらいは下に降りざるを得ないので降りて食事はするが。
[↑車内。一見、椅子とテーブルに見えるがこれも立派にベッドになる]
[↑上のベッドから見た景色]
[↑車内。なんとも言えない雑然とした感じ]
【2日目】
2日目にもなると雪原が多くなってきた。キヨスクで5リットルくらいの水とサラミ、リンゴ、オレンジ、パン、レトルトのマッシュポテトを買う。
夕方に若いカップルが下の2つのベッドに乗り込んできた。挨拶しただけで彼らがどこまで行くのか分からず。カップルということもあって若干聞きづらかったし、向こうも全然こちらに興味がないようだった。
シベリアの風景見ながら気づいたことがある。月がやたらに明るい。夕日みたい。あと星がよく見える。星には全く詳しくないけどオリオン座を見つけることは私にも容易だった。
【3日目】
朝起きたら、ウラジオストクで買ってから上の荷物棚に置いていたドレッシングと漬け物から漏れて私のベッドに滴り落ちて悲惨な状態で、パニックに…!!
仕方ないからとりあえず、汚れた枕カバーとシーツだけ剥がして顔を洗ったりする。汚れたところは臭うので、持ってきた香水をぶっ放して、それでご飯食べてから新しいのに変えようと思った。
そうこうしているうちに、朝の停車駅からおじいちゃんと若いにいちゃんが、昨日のカップルと入れ替わりに乗ってきた。こちらはかなり気さくで、下のテーブルで気持ちよくご飯を食べることができた。おじいちゃんはウラン=ウデ駅で、にいちゃんはイルクーツクで降りるとのこと。
おじいちゃんに「お前は芋でも食ってもっと太るべきだ!ガハハハ!」と言われながらジャガイモのおかずを頂き、プルーンとオレンジ、ビスケットを食べて昼まで一眠り。の前に、若いにいちゃんがシーツを変えるのを手伝ってくれてめちゃくちゃ助かった。にいちゃんスパシーバ!
この二人とはかなり仲良くなって一緒に記念撮影もした。しかもそのにいちゃんは私たちのために、何と、あのぼったくりカートからチョコレート1枚買ってくれた!感激!
[↑このシリーズの1枚を頂く(画像は借用)。頂いたのはここには載ってない普通のミルクチョコレートだったがどれもとっても美味しそう!]
その後は14時過ぎに15分だけ停車する駅があり、発車してから昼ごはんを食べる。
[↑キヨスクで買ったインスタントのマッシュポテト(のようなもの)と干し魚、日本から持ってきた味噌汁]
[↑ロシアのサラミ。サラミがこんなに美味しいモノだとは露ほども知らなかった…!クセになりそうな予感]
車内を何となく歩きながら見渡してみると、色々な人がいた。編み物をしているおばちゃん、数独をやっているおじいちゃん、パソコン開いて延々と映画鑑賞&ゲームをし続けている若いゲーマー(一生やってるんじゃないかって勢いw)、韓国人の女の子ふたり組、労働者風の装いのウズベキスタン人、ボーッと車窓を眺めている人、寂しいのか15分に1回は誰かと通話している同じくウズベキスタン人のおばちゃん、音漏れなどお構い無しにイヤホンを耳に入れてノリノリで首を振ってる白系ロシア人のおばちゃん、などなど。
ウラン=ウデで今朝乗ってきたおじいちゃんが下車し、通路を挟んで向かいのところに赤ら顔のおじさんが乗ってきた。どうやら酔っ払いらしい。その上、持ち込んだビールを飲もうと取り出して食事しながら飲んでいた。(ちなみに車内では飲酒は厳禁。バレたら問答無用でつまみ出されるらしいw)
彼は私たちにビールをすすめてきた。「ちょっとだけ」と言ったのにグラスに並々注いできた。車掌にバレたら怖いし、さすがにふた口しか飲まなかったが。でも意外と美味しかった。
そんなこんなでなかなか賑やかに1日を楽しんだ。ただ夜のうちにバイカル湖を通り過ぎてしまったらしく、湖をこの目で拝むことは叶わなかった。残念。
【4日目】
未明にイルクーツクから、また入れ替わりに乗客がふたり乗り込んできて(バスキールという少数民族出身らしい)、皆寝ているのにもかかわらず、騒がしくドタバタとお構い無しに荷物整理していて起こされてしまった。そのせいで11時半くらいまで寝てしまう。遅い朝ごはん食べて、また横になる。
通路側にもイルクーツクから乗ってきた人がいるのだけど、ずっと寝続けている。私たちは「三年寝太郎」と呼んで爆笑していたら夕方ごろにムクッと起きだしてきた。どうも今日の夜にクラスノヤルスクで降りる予定らしく、それでずっと寝てたらしい。
クラスノヤルスクに止まったので、そこのキヨスクで水とインスタントのマッシュポテトを少し買う。なかなか都会的な駅だった。それなりに大きな都市らしい。そのあとご飯を食べて、少し読書したりお茶飲んだりした。
いつのまにか腹筋が痛くて仕方ない状態に気づいた。上のベッドに登り降りするのが私には意外とキツかったみたいだ。
【5日目】
朝9時過ぎにノヴォシビルスクに着いた。近くに空港があるからか、飛行機をよく見かけた。徐々にモスクワに近づきつつある。
バラビンスク駅に途中下車してキヨスク向かったら物売りのおばさんおじさんがめっちゃしつこく勧誘してきた。「イクラのパンだよ〜いかが〜!」と言われてイクラ好きの私は釣られて買ったが、食べてみるとイクラ「入り」ではなく、イクラ「味」のパンだった。私個人としては微妙で、あまり美味しいとは思えなかった。
[↑おそらくイクラのパンを買った駅]
オムスク駅でまた降りてフルーツを買い足し、ヨーグルトも買ってみた。こちらは美味しかった。
通路側に誰もいなかったので私たちはそこで夕食をし、夜遅くまで座って語り合いお茶も飲めた。明後日にはモスクワ着くと思うと嬉しい。
【6日目】
朝5時ごろにバスキールの人たち含め多くの乗客がエカテリンブルクで降りていった。どうもウラジオストクからモスクワまで行く人たちは少数派のようだ。
この日は朝から吹雪いていた。シベリア鉄道の走り始めはあまり雪を見ることもなかったけど、内陸部に近づくと雪原を見ることも吹雪を見ることも増えた。
朝起きたら机にマフィンがポンと置いてあった。バスキールの人たちが私たちのために置いていったみたいだ。彼らがマフィンを食べているのを見たことがなかったし、きっと誰かにあげようと思っていたのだろう。妹曰く、ロシアの人たちはとにかく他人に食べ物をあげたがるらしい。それでいてこちらが何かおすそ分けしようとしてもあまり受け取ってくれない。不思議な人たちだ。
そうそう、約1週間、電車に揺られ続けたが最初から最後まで酔うことは全くなかった。新幹線でもよく酔ってしまう方だが、今回は不思議と経験しなかった。
そしてこの日は午前中に無口なおじいさんが突然やってきて、聖母子像が描かれたイコンのカードとブレスレットを売りに来た。どうも耳の聞こえない人らしい。100ルーブル出して買ってみた。日本で売っているよりは安いだろう。ちなみに私はプロテスタントのクリスチャンなので、マリア様を崇拝しているわけでは全くない。でもロシア土産に良いだろうと思った。
[↑イコンのカード。表と裏]
そうそう、車内でMacbook Proを使ってブログの草稿を書いていたら、小学生男子に話しかけられた。ちょうど妹がぐっすりお昼寝をしていたのでかなり焦った。でもなんとなくは分かった。
小学生「それiPad?」
私「ううん、Macbook Proだよ(どう見てもパソコンだろw)」
小学生「いくらぐらいしたの?」
私「…おじいちゃんに譲ってもらったものだから分からないや(英語)」
小学生「…???」
私「あ、英語、分かる…?」
小学生「ううん…」
(会話終了wwwww)
でも私個人としては、話しかけてきてくれたのがすごく嬉しかった。数字言えなくても何言われたのかはだいたい分かったし、あっちも少し微笑んできてくれたから心があったかくなったのを感じた。そして何より子ども可愛い!!
日本の子供だったら絶対に知らない他人に話しかけたりはしない気がする。せいぜい無表情で見つめるのが関の山だろう。不審者を警戒する気持ちは良く分かるが。それが別に悪い事だとも良い事だとも思わないけど、何となく違いを感じたのは事実。
夕方6時ごろにおばあちゃんが乗ってきた。分からない言葉を連発されて、妹が対応に苦慮していた。おばあちゃんは表情が薄かった。たまに笑顔を見せるとこちらも安心する。糖尿病を患ってるらしく薬と注射を持っていた。
こういう時もっと自分がロシア語分かればいいのにと思った。一人で退屈そうだった。おばあちゃんは身体が不自由でトイレに行くのもやっとだった。モスクワにいる娘に会いに行くらしいのだけど、その身体で本当に娘に会いに行けるのか疑問だった。まあ、迎えが来るのかもしれないが。
【7日目】
いよいよ今日はモスクワに到着!午前中に到着予定なので、少し早めに起きて荷造り&外へ出るので着替えなどをして準備。
車内にいるときはインスタント系の乾物ばかり食べていたので、「ちゃんとしたご飯が食べたいね(´;ω;`)」と妹と言い合ってた。「モスクワに着いたら、たらふく美味しいものを食べようね」と約束。
とはいえ、シベリア鉄道の旅はなかなか面白かった。正直に言えばモスクワに着いた頃は、もうシベリア鉄道には乗らなくてもいいと思ってた。ただ、写真を今になって色々見返すと本当に素敵な景色、日本の大都会にいるとおよそ見ることができない地平線、家が一軒も見当たらない車窓が数分も続くこと、こうしたものが懐かしく思い出される。
[↑やっとモスクワに上陸!]
身体が不自由そうだった例のおばあちゃんはその後、若い男性(おそらく息子さん?)が迎えに来てくれて無事バイバイした。めでたしめでたし。
さてさて、これからモスクワ旅の始まり〜〜
ロシア旅行記①ウラジオストク
[↑ウラジオストクの港。ガイドブックに書いてある通り確かに横浜と若干雰囲気が似ている気がした]
ロシア行ってから4カ月以上経ってしまっている。すぐブログを書こうと思ってたのに日々の多忙に完全にやられてしまった…
ロシアに行ってみたいと思ったのは、妹が学生時代に一人旅で行って、えらい楽しんできたそうでその土産話に私も興味を惹かれたから。
幼少期以来、海外はすっかりご無沙汰していた。私もいずれ一人旅したいと思ってはいたものの、いきなり10数年ぶりの海外が一人旅なのもハードルが高いからまずはふたり旅で海外の感覚に慣れようと計画。
結論だけ言えばその目的は無事に果たされた感がある。今年の9月には一人でドイツに行こうと考えている。航空券手配も宿泊先手配も自分でやれるようになって、こうやって少しずつ世界を広げていけるんだなと実感している。
さて、ロシアに関して言えば…
2019年2月17日〜3月9日までの約2週間半以上にわたる旅だった。ひたすらコスト削減を目指して、食事のつかない安ホステルを選んだ。(実際日本からしたら信じられないくらい安い)
そして現地のスーパーで食料調達するという初めての経験、しかも乗車予定のシベリア鉄道ではシャワーがないという、日本での暮らしから言ったら異常事態な旅を体験した。
これで言語も通じなかったら行くのを躊躇するところだけど、幸いロシア一人旅を体験済みの、それなりにロシア語ができる強力な助っ人がいたおかげで、だいぶ安心して旅を楽しめそうと確信。大変なこともあったけど実際、とても楽しかった。
ビザやバウチャー(ロシア行きには必須アイテムの滞在許可証)、飛行機、ホステル予約などはロシア専門の旅行会社よろしく、全て妹がしてくれた。大変ありがたい。本人曰く「使っていないからかなり忘れてる」というけれど、私からしたらロシア語でちゃんとチケット買い直し等々ができるあたり、忘れているようには見えなかった。
[↑10数年ぶりの、海外への玄関口!]
[↑プロペラ機?!]
最初は成田からウラジオストクへ。搭乗時間は2〜3時間ほどだった。沖縄行くのと同じか、それより近いかぐらい。私たちは計算を間違えてギリギリに成田に着き(笑)、急いで搭乗手続き等してから飛び乗って、ウラジオストク空港に着いてからシベリア鉄道の発着駅であるウラジオストク駅までバスで1時間ほどかけて向かった。そう、同じ市内でも空港から駅までそれぐらいかかってしまう。
私自身は乗り物に強くなくて、飛行機でも着陸と離陸時に吐き気を催してエチケット袋を取り出そうかと思ったぐらいだった。まあそういう事態にならなくて済んで良かったけど。だから初日はかなり疲れてしまった。機内がやたら温度高いせいもあったかもしれない。
[↑空港から約1時間のウラジオストク駅。思ったより小さかった]
とりあえず駅近くのホステルでチェックインして、少し休んでからふたりで近くのスーパーでその日と翌朝の食料を買う。実家でも、食事付きの宿泊施設でも、待ってれば食事が出てくるってのは、本当に贅沢なことなんだなあとしみじみ。
[↑朝ご飯に調達したパン、ヨーグルト、プルーンなど。乳製品がとても濃厚で美味しかった!]
次の日はノープランだった。だから10時過ぎまで寝て、のろのろと起きてご飯食べてから正午に出かけた。ノープランの割にはいろいろ体験できた。凍った海の上を歩いたり、ピロシキを食べたり、港を見たり、アーケード街を散歩したり。港を見ている時にロシア正教会を見つけて行ってみたけど改築中だったので中には入れず。
[↑凍った海。不凍港を求めて南下していたロシアの歴史を思い出す]
[↑その海の上で立っている私w]
[↑改装中だったことが判明した教会]
ウラジオストクはやたら坂道が多かった。「地球の歩き方」をチラ見した時に、神戸や横浜と似ているという記述を発見した。確かに言われてみれば、そんな感じがしなくもないかなと。とにかくロシアの港町っぽい、素敵な雰囲気だった。おじいさんが座っているベンチに私たちが座ると話しかけてくれるし、お店の人も、こちらがきちんと挨拶すれば雑談をしてきてくれる(ただしロシア語限定w)。アジア的ないい雰囲気を垣間見たような気がした。
もしかして、自分もほんの少しだけでもロシア語できたらもっと旅行を楽しめるのでは?と思ったけど、まあなかなか難しい。さすがに最低限の挨拶は覚えたが、そのあとのやりとりができない。仕方ない、その辺は大人しく妹に任せよう(笑)
[↑ウラジオストクの街角で。渡辺直美さんがこんなところに…!]
[↑ウラジオストクの街並み]
三日目の早朝、シベリア鉄道に乗り込むためにホステルをチェックアウトして駅舎へ急ぐ。ところがウラジオストク時間で書かれている発車予定時刻をモスクワ時間と勘違いしていたため、その電車を既に逃してしまっていたことが判明。妹が慌てて買い直してくれたおかげで、追加料金を6000ルーブル払ったのみでどうにか事なきことを得た。ただ、乗る電車がその日の深夜12時51分発になってしまったからそれまで暇になってしまった。ホステルに戻って事情を説明したら快く居させてもらえることになった。こちらも追加料金をいくらか払うことになったとはいえ、ホステルのWi-Fiも使えるし、仮眠をとることもできるし、かなり助かった。
[↑ホステルの部屋。他にもこの部屋にはこんな感じの二段ベッドが2つあった]
そんなこんなで深夜になり、今度こそ鉄道に乗り込むことができた。急いで荷物を整理し、次の朝ちゃんと顔洗ったり歯磨きできるようにし、食料も出しやすいようにしてから、貴重品などをベッドに置いてから一息ついて就寝。
さて、次の記事は7日間かけてユーラシア大陸横断の旅。